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日本企業のソーシャル活用が進まない理由の考察

要旨:
 無意味な「公平感」を保証するために、
 「何もしない」という最悪の選択をしている。 

 

ふと、ピンときた。

日本人は「均質なサービス」が大好きだ。

同じ料金を払ったのだから、同じサービスをしてもらわないと、困る。

となると、誰かが+αのサービスを受けると「あの人には◯◯したのに」と自分にも要求する。

本当は人と人の関係だから、良く来てくれるお客さんにサービスしたり、
もしくは「たまたま」あるお客さんにサービスが手厚くなってしまったりもするはず。
が、それは許せない。

そんな日本全体のサービスに対する雰囲気が、
企業のソーシャル活用の場をも支配しているのではないか?

たとえばあるユーザがTwitterで製品に対する改善要望を(@を飛ばさず)つぶやいたとする。
企業の言い分はこうだろう。
「特定の顧客に対して、改善をコミットしたりはできない。
また、ある人のつぶやきには回答して、
たまたま見つけられなかったある人のつぶやきには回答しないというのは、不公平である。
だから(公平のために)何もしない。」

これは果たしていいことなのだろうか? 企業とユーザとが、lose-loseなのではないか?
せっかくの「繋がる」チャンスを、公平感というもののためにみすみす捨ててはいないか?

「サービスを受ける側」の寛容を意識するところから始めようと思う。